1996年に、上智大4年生の小林順子さん=当時(21)=が東京都葛飾区柴又の自宅で殺害された事件は、9日で発生から30年となる。小林さんは国際ジャーナリストになる夢を追う真っただ中だった。大学の英語学科で1年先輩だった会社員冨樫信一郎さん(53)=山形市=は「彼女の思いを引き継ぎ、事件の記憶を忘れさせないようにしたい」と願う。(足達優人)
上智大生殺人放火事件 1996年9月9日夕、上智大4年の小林順子さん=当時(21)=が東京都葛飾区柴又の自宅で、首付近を刃物で複数箇所刺されて殺害され、放火された。遺体は2階の両親の居室で発見され、口に粘着テープが貼られた上に両手を縛られ、両足もストッキングで縛られていた。現場のマッチ箱に付着した血痕から犯人は血液型がA型の男とみられている。
「姉御肌で誰にでも優しく、思いやりがあった」。冨樫さんはそう振り返り、目を細めた。

大学時代の後輩だった小林順子さんとの思い出を語る冨樫信一郎さん=山形市で
大学2年の秋、翌年の新入生を支援する「ヘルパー」になった際、1学年下のヘルパーの一人が順子さんだった。同級生と開けっ広げに話す順子さんに驚く一方で、先輩後輩分け隔てなく仲良くなれる人柄に魅了された。
最も印象に残っているのは卒業式。冨樫さんが式を終え、教室へ戻ると、後方に順子さんの姿があった。
「彼女と別れたって聞いたけど大丈夫?」。うわさを耳にしたのだろうか。自身は春休みなのに卒業祝いに出向き、傷心の先輩への気遣いがうれしかった。
「留学がんばってね」。米国に留学予定だった順子さんに、そう返して別れた。最後に交わした言葉になった。

事件で亡くなった小林順子さん=遺族提供
順子さんの訃報を聞いたのは約半年後、雨の日だった。午前4時ごろ、学生時代のバイト先の友人から留守番電話があった。「順子さんが亡くなりました」。体の力が抜けた。
葬儀前夜、順子さんの亡きがらと対面した。闊達(かったつ)だった面影はなかった。「順子の夢が強引に絶たれた。自分のように悔しかった」。最後の別れのときには、人目もはばからず泣き崩れた。
2013年、冨樫さんは山形に帰郷した。2022年、大学の同窓会に合わせて順子さんの墓参りへ行くことにした。「一緒に行く学生時代の友人を…」と思ったが、...
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