聴覚障害者の「戦争体験」今語る 91歳加藤八重子さん 情報から「置き去り」に…東京大空襲も母の死も

エネルギー Aug 17, 2026 IDOPRESS

「情報が欲しいのに、何も伝えられなかった」。太平洋戦争末期に疎開中、東京大空襲で家族を亡くした聴覚障害者の加藤八重子さん(91)=荒川区=が16日、東京都江東区の東京大空襲・戦災資料センターで、自身の体験を手話で語った。手話が軽視されコミュニケーションが難しかった当時、情報から「置き去り」にされた苦しさを伝え、「戦争だけは、もう絶対やってはいけない」と訴えた。(橋本誠)

疎開した体験を手話で伝える加藤八重子さん=16日、東京都江東区の東京大空襲・戦災資料センターで(隈崎稔樹撮影)

手話による自身の体験談はセンターが事前収録した動画を参加者に見てもらい、その後、会場で加藤さんが質問を受け、手話通訳を介して答えた。加藤さんは東京・小石川区(現文京区)の東京聾啞(ろうあ)学校に通っていた1944年9月、埼玉県百間村(もんまむら、現宮代町)の寺院に集団疎開。「母が布団などを準備しながら泣いていたが、意味が分からなかった」と振り返る。

当時は聴覚障害者に対しては、話し手の口や顔の動きから内容を読み取る「読唇」と発話を訓練する「口話法教育」が奨励された。手話は表だっては使えず「使うと、先生に手をはたかれた」という。疎開先から一時東京に戻った際は「灯火管制で疎開先より暗く、目を見てコミュニケーションできないので、防空壕(ごう)で手に字を書いてもらった」。

姉(左から2人目)に抱かれた加藤八重子さんと、兄の賢一さん(同4人目)らきょうだいの写真(東京大空襲・戦災資料センター提供)

家族に手紙を書き続けたが、やがて...

残り

541/1082 文字

この記事は会員限定です。

無料会員に登録する

有料会員に登録する

ログインして続きを読む

有料会員に登録すると

会員向け記事が読み放題

記事にコメントが書ける

紙面ビューアーが読める(プレミアム会員)

※宅配(紙)をご購読されている方は、お得な宅配プレミアムプラン(紙の購読料+300円)がオススメです。

会員登録について詳しく見る

よくある質問はこちら

テクノロジーエコー: Tech、AI、Aerospace、Biotech Newsのソース

テクノロジーエコー、日本の科学技術ニュースポータル。 テクノロジー、人工知能、バイオテクノロジー、データ、その他の分野の最新の発展について報告することに尽力しています。
© テクノロジーエコー プライバシーポリシー お問い合わせ