〈ニュースあなた発〉 東京都文京区の会社員椎野充さん(54)は、葛飾区の実家の引き出しから祖父の日記を見つけた。10万人が亡くなったと...
〈ニュースあなた発〉
東京都文京区の会社員椎野充さん(54)は、葛飾区の実家の引き出しから祖父の日記を見つけた。10万人が亡くなったとされる東京大空襲があった1945年3月10日の生々しい記述があることに気づき、東京新聞「ニュースあなた発」にメールを寄せた。戦後80年の昨年、あらためて読み返すと、目に浮かんだのは必死に火の海を逃れる祖父や家族の姿。「ファミリーヒストリーをかみしめている」と今ある命に感謝する。(井上靖史)
「3月9日午後10時30分空襲警報発令」。日記では、1665トンに上るとされる大量の焼夷(しょうい)弾が投下された空襲が始まる直前の様子をそう記述する。

椎野駒吉さん(椎野充さん提供)
2000年に94歳で亡くなった祖父の駒吉さんは当時、江東区古石場(ふるいしば)在住の39歳だった。水道インフラ関係の職員で、徴兵はされなかったという。
10日に日付が変わってからか「住宅前に花火の如(ごと)く一塊の焼夷弾、火の手が揚る」と日記に記し、「日立製作所、石川島造船所、農林倉庫もまたたく間に炎上」と火のすさまじさを表現している。

「待機消火を断念」という記述も。国民に課された消火義務を忠実に守る余裕はなかった。当時「埋立(うめたて)地」だった現在の同区潮見へ避難を目指すも「風は宵より相当強く、雲雀(ひばり)橋上は避難者の雑沓(ざっとう)と火の子(原文ママ、以下同様)の嵐のため通かを断念」と思い通りに避難できなかったことも分かる。
「立てば烈風に吹き飛ばされる」「果たして生き残れるかや否やも測り難くなった」とも記した避難は妻とともに2人の息子を背負いながらだった。「(次男)武は寒気を訴えて泣き出し、晃(三男)は気味悪いほど静かなため不安な妻は背を揺り動かして呼吸を確かめる」。駒吉さんの長男で椎野さんの父の茂さんは当時10歳で、神奈川県小田原市国府津の親類宅へ疎開していた。

東京大空襲当日の情景が祖父の言葉で生々しく残っている(木戸佑撮影)
祖父一家は意を決して...
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