
7種類ある車輌の都電もなかは、1輌200円。これを手にすると、子どもはみんなテーブルの縁や窓枠に沿って走らせる。
東京の下町風情を乗せて走る都電荒川線(東京さくらトラム)。その梶原停留場のすぐ近くで看板を掲げるのが、昭和32年(1957)創業の和菓子店「都電もなか本舗 菓匠 明美」。店名にもなっている商品の「都電もなか」は、都電の姿を驚くほど忠実に再現している。これなら、お菓子好きだけでなく鉄道ファンの胸にも刺さる。このお菓子がどのように考案されたのか、その発想の源を探った。

7輌の都電をズラリと並べてディスプレイ。細部まで車輌の特徴を再現している。
お店に入るとショーケースの上に、転車台を囲む扇状車庫のようにディスプレイされた都電もなか。カラフルに7種類並んでいる。これだけでもう、鉄道ファンはイチコロだ。“車幅”もちょうどNゲージぐらい。もちろん鉄道に興味のない人でもそのかわいさに、つい手を伸ばしたくなる。
プライスカードを見ると、「1輌200円」と。1個とか1箱などと数えるのは、野暮というもの。もう、都電の空気にどっぷりだ。
7種類それぞれにちゃんと車輌番号がついていて、前後左右の車輌の外形やドア、窓の形、カラーリングまでていねいに歴代の車輌が再現されている。窓の中には乗客のシルエットも。もっとよく見ると、なんと上面のパンタグラフの形も描き分けてある。

都電もなかが10輌入るパッケージは、荒川車庫を模したもの。包装紙には、都電荒川線の路線図と沿線スポットがイラストで描かれている。
そんな箱から出てくるのは、もなかの皮で立体的に形作られた車輌。
もなかを食べてみると、たっぷり詰まった北海道産最高級の小豆で拵えたつぶし餡がボリューミーかと思うが、中から求肥(ぎゅうひ)が現れて、もっちりとした食感が変化をつけ、なにより香ばしいもなかの香りが後を引く。餡の甘み、求肥の食感、もなかの香りが調和した味わいが、都電もなかの真骨頂だ。

14〜32輌入り5種類の箱の蓋で、都電荒川線の路線をたどるすごろくが楽しめる。
「1輌ずつの箱もですが、10輌入りの手で提げられる化粧箱は、車庫の形になっています。三角形の屋根は、昔の荒川車庫の形です。14〜32輌入り箱は、蓋に都電荒川線の路線図が描かれていて、すごろくで遊べるようになっているんです。車輌の箱の開け口が、駒になります」と説明するのは、店主の久保裕子さん。創業者の父の跡を継いでいるという。
「都電もなかを考案したのは、父の伊藤裕規(ひろき)です。胃がんになってしまって入院中、このあたりのお土産物がないので、以前からなにか作れないかと考えていたそうです。その頃は、都内を縦横無尽に走っていた都電が次々廃止され、この荒川線だけが残った時代です。店のすぐそばを走っているので、この荒川線も、当初廃止が決定されていました。もし廃止になっても、ここに都電が走っていた証として、都電を形にした菓子を残したいと、型屋さんを呼んで図面を見せて、どうやったらもなかの型に起こせるか相談を始めました」
型が決まって、もなかの皮専門の種屋さんに焼いてもらい、試作品を作っては近所の仲間などに食べてもらった。もなか種も白いのより焦がしがいい、餡はこし餡でも白餡でもなくつぶしがいいなど試行錯誤し、求肥を入れるのもこの段階で決まったという。
さて、もなかの方向性は決まったが、販売方法、商品展開に悩んで、近所の幼なじみのイラストレーターに相談すると、「ちょっと待っていてくれ」と言って2~3時間後、持ってきたのが、都電の車輌を描いた箱の展開図だった。

オーソドックスな和菓子から、オリジナルの物語を感じる商品まで種類が多く、ついあれこれ選んでしまう。
「父は和菓子職人なので、もなかは和紙で包んで売るぐらいしか発想がなかったのですが、『もなかが都電なら、車輌の形の箱がいいだろう』と。印刷屋さんも近くの同い年の社長に頼んでくれて、これができたんです。地域の昔からの人づきあいはほんとうに大切で、みんなに助けられて都電もなかができたんです」
それが、昭和52年(1977年)のこと。こうして完成した都電もなかをなにより喜んでくれたのが、近くの荒川車庫の運転士たちだった。「俺たちの土産ができた」「どこへ持っていっても誇らしい」と、自分たちの土産物や退職記念品にこぞって買っていった。そればかりか、昔の路線案内図や回数券を立派な額装にして寄贈してくれたという。自分たちの愛する都電が、街の名物菓子になったのが、誇らしかったのだ。
そうするうちに鉄道雑誌で取り上げられると、鉄道ファンが買いに来るようになった。
「すると、熱心なマニアから『乗降口の位置が違う』と指摘が入ったんです。父は早速車庫に飛んでいって確かめると、『ご指摘を受けたら直さなきゃダメだ』と、型から作り直したんです」
やるなら本物でなければという徹底した姿勢が、都電もなかを店の看板商品にしたのだ。

現在暖簾を守る久保裕子さん。家族中心にお店を切り盛りしている。
この店は、先代の裕規さんの手で昭和32年(1957年)に創業した。その当時の和菓子職人は、紹介所を通して各店に派遣されるような不安定な働き方が一般的だった。父親が早逝し、母も身体弱く、自分も結婚して家族を支える大黒柱だった裕規さんは、このままでは家族を養えないと、25歳で独立を決めた。開業資金は祖母が親戚に頭を下げてくれて工面し、それでも足りない部分は高利貸しに頼るほどの綱渡りだった。
しかし、合羽橋道具街の店主たちは腕と人柄を見込んで「必要な道具は持っていけ。支払いは後でいい」と、手を差しのべてくれて開業にこぎ着けたという。
「私は店を開いたその年に生まれたので、店の片隅のテーブルに寝かされて育ったらしいです。子どもの頃は、遊びに連れて行ってもらうどころか店の手伝いをしていたし、あんこより生クリームの方がおいしいと思っていましたが、就職となったらやはり家業に入っていました」
店名は「明美」から始めたが、暖簾分けした店と間違われないようにと、「都電もなか本舗 菓匠 明美」としたという。
店では、都電もなかのほかにもお団子やどら焼きのような身近なお菓子から、飛鳥山や王子稲荷など地域にちなんだ銘菓、進物用のお菓子、上生菓子など、数十種類も作っている。これほど幅広い和菓子を揃えている店は少ないのではないだろうか。
「都電もなかは、地元の皆さんのご協力がなかったら完成しなかった商品なんです」
と裕子さんは振り返ります。
試食してアンケートに協力してくれた近所の人、幼なじみのイラストレーター、その突飛な箱の展開図を引き受けてくれた地元の印刷会社の社長、そして完成を我がことのように喜び広めてくれた荒川車庫の運転士さんたち……。みんな地元で育った仲間たちで、「街を盛り上げたい」という想いを結集して、都電もなかに結実した。
「なにより、お店を支え続けてくれたのは地域のお客様でした。だから息子たちや孫には、『あなたたちが学校に行けてご飯が食べられるのも、店にお客さんが来てくれるから。それを絶対忘れちゃいけない』と言い聞かせています」
創業から約70年。一人の和菓子職人の情熱と、それを支えた仲間たち、近所のお客さんたち、鉄道ファンなどに囲まれて、今も店の歴史を刻み続けている。

創業の父が、梶原銀座商店街の入口という立地や向きなどで選んだという店舗。
昭和32年(1957)創業。都電荒川線梶原停留場から徒歩2分。お菓子の製造4人、包装などなどの作業6~7人、販売5人で担当している。支払いは現金の他、クレジットカード、交通系プリペイドカード、PayPayが使える。
<データ>
住所東京都北区堀船3-30-12
電話03-3919-2354
営業時間10:00~18:00
定休日月曜(祝日の場合は振替えあり)
URLhttps://www.todenmonaka.com/
※掲載したお店や施設の臨時休業および年末年始・ゴールデンウイーク・お盆休みは営業時間などが変更になる場合がございます。事前にご確認ください。
※2026年9月15日時点での情報です。
※料金は原則的に税込み金額表示です。
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